hopehole

 何かを失ったとき、何か足りないと感じたとき、また意図せず何か大きな変化に飲み込まれてしまったとき、多かれ少なかれ喪失感を抱えた中で、人は、私は、何を求め何を探せば良いのだろうか。

 ここ数年で急速に広がった情報社会により、私たちは今までにない多くの人とのつながりをとても簡単に手にする事ができるようになった。他者とつながることで他者をもっと知りさらに自分をもっと知ってもらう事ができる。そこで知り得たことが真実かどうかはさておき、そうして多くの人と触れ自分を見せ続けることにより、いつしか自分自身の中に価値観や情報の混在した沢山の他者が入り込んでくる。
 いま一人一人が見えない孤独を抱え込んでいる日本の中で、これまで当たり前にあったものが突然なくなり、あるいは姿を変えてしまったことで、他者とのつながりは更に求められるようになった。しかし求めれば求めるだけ、探そうとすれば探そうとするだけ、溢れかえる情報と目にみえない他者が、足場の不安定な私たちを混迷させる。
 もともと私たちは生まれた瞬間、すでに他者によってつくられた世界を信じていく事でしか自己を確立していく術がないのだ。だとすると道徳や倫理はもちろん、自分が目にしているものや、自分自身さえも、全て本当の姿なのだろうかという疑問がわく。存在そのものが曖昧な私たちが失ってしまったもの、探している真実は、「私」という個人の外側にあるのではなく、内側にあるのではないだろうか。
 寂しさや孤独を表す言葉のひとつに「心にぽっかり穴があいたような」という表現があるが、その穴の中は空っぽではないはずだ。穴の中にはたくさんの他者と自己が混在した“わたし”がいて、その穴の中を探して向き合っていけたら、そこにはむしろ希望が詰まっているように思う。
 私は、その闇しかないように思えるもののなかに潜むかすかな光を信じて制作していきたい。



                                                2012.3 中村萌